地方分権の先鋒、東国原知事と橋下知事。いくら権限や財源を地方に取り込んでも、それを行使する体制ができているのかどうか、、、。宮崎県と崖っぷち大阪府の地方分権の取り組みは進んでいるのでしょうか?
宮崎県ではいくつかのビジョン策定が行われているようですが、行政改革自体はまだまだ、意識の改革、それも談合事件からの脱却、信頼回復期との捉え方です。しばらくは、マンゴーに頼るしかなさそうです。
行政改革は3つの改革が実施されています。(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000085554.pdf より)
1 意識改革「お役所仕事」からの脱却や入札談合事件等の不祥事により失墜した県政の信頼回復のため、公務員倫理の確立や法令遵守(コンプライアンス)を徹底するとともに、職員一人ひとりの意識改革を推進し、柔軟な発想と明確なコスト意識を持って職務を遂行するという組織風土の形成を図ります。
○ 公務員倫理の確立(「職員倫理規程」等の制定、コンプライアンス推進体制の整備、「公益通報制度」の充実強化、 公共工事の入札・契約業務等に係る談合の記録、公表)
○ 組織風土改革の推進(各職場で、ワンランクアップの県民サービス向上の取組み、「部局マニフェスト」の実施、「職員提案」の実施、職員の自主的な地域活動参加を促す指針の作成、程度)
○ 人材育成の推進( 自己啓発支援、職場研修及び職場外研修の充実、職種間交流や外部との人事交流)
2 経営改革 はコストダウンだけですべてを黒字にしようとする大胆な試みです。県立病院の経営も経費削減で患者や医師が戻ってくるなら、苦労はありません。
3 協働改革 といっても、知事と県民との交流が中心で、「県民ブレーン座談会」、「県民フォーラム(公開討論会)」の開催。職員の姿が見えてきません、、、、、。
一方、大阪府ではもう少し改革が進んでいるようです。意識の改革から、実践へ取り組み始めているようです。部局長マニフェストと3人の副市長による6つの部局横断課題のマネージメント。
(http://www.pref.osaka.jp/kikaku/b_manifesto/home.html より)
「大阪府では、この4月から、組織強化を図るため「戦略本部体制」をスタートさせています。
私は、この体制の下で、大阪府庁という組織が一丸となって「変革と挑戦」を続けるような仕組み、府民の視点で施策の効果を点検し、改善点を見出し、反映させる仕組みを確立したいと考えています。
その肝となるのが「部局長マニフェスト」です。
これは、部局長自身が、府としての大きな方向性の下で、自らの部門が遂行する戦略目標や具体的な成果指標を掲げ、知事である私との間でその実現を “約束”し府民の皆さんに公表するものです。」
それはアウトプットとアウトカムを区別して考えられたものです、、、、。
しかしながら、その重要なアウトカムを(課題→アウトカム)の順に見ていると、
1.大阪の地域力の再生→住民や地域団体等の地域活動への参加拡大により、府民の「地域力再生」の実感の向上を目指します。
2.大阪・関西発“地方分権改革”の推進→地方分権に関する府民の認知度・期待度の向上を目指します。
3.都市魅力創造→府民の大阪への「愛着心」や「活気・にぎわい」などの満足度向上を目指します。
4.新エネルギー都市大阪づくり→「エコカーの普及」についての府民の実感の向上を目指します。
5.障がい者雇用の促進→「障がい者が働き、自立した生活を送ることができる社会づくり」に対する府民の実感の向上をめざします。
6.大阪の高校教育のあり方→大阪の高校教育に関する府民の満足度の向上を目指します。
となります。でも、認知度、期待度、実感、満足度、それらは具体的な成果ではありませんね。
意識の改革だけが先行するのではなく、意識と実践とを同時に改革してこそ、改革が進むのではないかと考えます。実践の中でこそ、鍛えられると思うのです。府民の期待も、財政の窮乏も待ってはくれないはずです。
横断課題を全局をあげて取り組む意欲があるのかどうか、そのためには何を解体し、何を融合しなければならないのか、、、、、組織の創造的改革なしに、創造的な回答を提示することは不可能です。
「これまでの府政運営では「目標設定と責任の所在が曖昧」「PDCAサイクルの機能が不十分」といった課題がありました。
「PDCAサイクル」とは、Plan(立案・計画),Do(実施),Check(検証・評価),Act/Action(改善・見直し)の頭文字を取ったもので、計画から見直しまでを一環して行い,さらにそれを次の計画に活かす仕組み。この点を改善し、府としての組織目標を全庁で共有し、その達成を目指すため、「部局長マニフェスト」を制度化しました。 部局長マニフェストは、施策の取組段階ごとに目標を設定し、PDCAサイクルを常に意識しながら、その達成を目指す仕組みです。」
PDCAサイクルとは高度成長期に、製造業での生産管理や品質管理の効率化を推進するために考案された戦術であったはずです。いまどき、「PDCAサイクル」なんて言っているのは地方自治体くらいじゃないでしょうか。Plan→Do→Check→Act/Action、そんなにまっすぐには進みませんし、Planの前に膨大な分析が入り、Doの前に何度もCheckが入るものです。
やはり、まだまだ民間の先進企業の業務意識や体制とのずれは大きいのではないでしょうか。
3 件のコメント:
岡崎市立図書館の本から
『官僚病から日本を救うために 岸田 秀談話集』 発行 株式会社 新初館
はじめに
官僚病はどのような組織にも発生する
二〇〇九年四月 語り下ろし
聞き手=新書館編集部
官僚病という宿痾 6~7ページ 痾: ア、やまい
――本書には一九九四年から二〇〇九年までの十五年間、時機に応じてお話しになった対談やインタビ
ューが年代的に並べられています。官僚の不祥事、靖国問題、日米関係(北朝鮮、中国を巡る問題など、
そのつど差し迫った事柄についてお話しになっておられるわけですが、一貫しているのはやはり、岸田
さんが名づけられた官僚病の問題、自閉的共同体の問題ですね。
岸田 そうですね。靖国問題では中国といかに対応するかということで論じていますし、北朝
鮮についてはそれが大日本帝国のコピーであるということで論じているわけですから、表面的
には少し違うように思われますが、掘り下げると同じ自閉的共同体の問題になっています。官
庁だけではなく、どのような集団も自閉的になる傾向を持っています。国家も同じです。北朝
鮮はもとより、日本も中国も無縁ではない。官僚病はこの自閉的共同体から生まれます。とい
うより、その最大の特徴であると言っていい。ある集団が自閉的になると、その集団以外の人
間は人間ではなくなる。仲間うちの者しか人間ではなくなる。恐ろしいことです。日本に限り
ません。同じことは世界史の至るところに見出すことができます。たとえばナチスという共同
体にとつてユダヤ人は人間ではありませんでした。ここ数十年ずっと問題になっているいじめ
にしてもそうです。グループ外の人間がいじめのために自殺したとしても可哀想だとは感じな
くなるのです。小学生や中学生のいじめの問題から国際政治に至るまで、同じ原理が働いてい
ます。人類愛を掲げたキリスト教徒にしても、黒人やアメリカ・インディアンを長いあいだ人
間とは見なしていませんでした。みんな同じ構造を持っているのです。
――官僚病は個人の問題ではない、自閉的共同体というシステムの問題だということが強調
されています。
岸田 ええ。人類愛に燃えた良心的な人でも官僚病と無縁なわけではありません。自閉的共同
体に入ると、初めのうちはおかしいなと思っていても、そういう批判をすると仲間外れにされ、
弾き出されてしまいますから、結局、同化するしかなくなる。弾き出されるか、その共同体の
メンバーと同じ考え方を受け容れるか、そのどちらかしかないからです。批判する人は弾き出
されるわけですから、共同体そのものは変わることなく残ってしまうのです。つまり、人は入
れ替わってもシステムは残ってしまう。
官僚病から日本を救うために 14~17ページ
――その閉鎖回路から抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか。
岸田 もちろん簡単に抜け出せるものではありません。人間とはそういうものだと言ってしま
えば、それまでですが……。
とはいえ、いずれにせよ自閉的共同体は外部の現実とぶつかって破綻します。必要なのは現
実を直視することです。それでは誰がどんなふうに現実を見据えるか。日本はこれまでアメリ
カの庇護のもとで何となくやっていけると思ってずっとやってきたわけでしょう。それがおか
しいと気づいても、それを言うと日本という自閉的共同体そのものが危なくなるから、気づか
ないふりをしてきた。そういう共同幻想はなかなか崩れません。
だけど、今現在がそうですが、外部の現実との関係においていろいろな問題が起こってきて
いるわけです。症状が出てきている。北方領土の問題にしても、北朝鮮の問題、拉致や核やミ
サイルの問題にしても、軍事力を増強してきている中国との関係の問題にしても、アメリカに
追随しながら自立しているような顔をするという手法ではもう立ち行かなくなっていることを
示しています。いま具体的に現れている官僚病にかかわる問題はすべてその症状と言っていい。
もう単なる対症療法では済まないところまで来ている。
問題は、根本治療はどうすればできるかということですね。父親を憎んでいるにもかかわら
ず、そのことを隠蔽して父親への憎しみを無意識へと抑圧して意識的には愛しているつもりで
いると、いろいろな症状が出てくるわけです。なぜ症状が出てくるのかというと、父親への憎
しみという要因を無視した自我の立て方が間違っているからです。精神分析の場合はそう考え
るわけです。やはり、日本人の自我の立て方が、近代化以来、戦中戦後を通じて、根本的に間
はじめに 15
違っていたのではないか。もう症状に単に絆創膏を貼るといった対症療法では立ち行かなくな 16
っているのではないか。そう考えるべき事態に立ち至っているということではないですかね。
結局、日本という国家が自立すること、そのためには国民の一人一人も自立することが求め
られているのではないか。そう考えるほかないと思いますね。そうしなければ、外部の現実を
直視することはできない。逆に言えば、外部の現実を直視しなければ、日本は自立することが
できない。ペリー来航以来、アメリカは日本にとってもっとも重要な外部です。日本はアメリ
カを過度に恐れたり、甘く見てなめてかかったり、むやみに買い被って崇拝したり、不倶戴天
の敵のように憎んだり、機嫌を取っておけば日本を守ってくれると信じたり、これまでアメリ
カについて現実離れしたイメージを抱き続けてきています。これからの日本はアメリカという
外部を正確に見ることが必要です。
対症療法とは近視眼的な物の見方のことです。暴力団を雇って抗議に来た患者を蹴散らすと
か、自分たちのせいでエイズになった人々がいるのに、そういう人々は存在しなかったと嘘を
つき続けるとか、みんな自閉的共同体が採りがちな近視眼的な対応策です。もう、そんなこと
では駄目ですね。もっと広く遠くまで眺めて考える必要がある。アメリカが危機に陥っている
現在、アメリカとの関係をこのままにしておいては駄目です。日本は自らの危機を徹底的に考
え抜くだけの勇気を持たなければならないと思います。
今後の一世紀、どういう社会がほんとうに望ましいのか、その望ましい社会を実現するため
にはどうすればいいのか、アメリカを他山の石として、しっかり考えるべきときなのではない
でしょうか。
何はともあれ、自閉的共同体が日本の自立を妨げる最大の障害です。防衛省、財務省、厚労
省、外務省などの省庁をはじめ、どのような集団も自閉的共同体になりがちで、そして、そう
なれば日本は破滅しかねないのですから、国民は彼らがそうならないようつねに警戒を怠らな
いことが必要です。自閉的共同体は外部からしかブレーキをかけられないのですから。
貴重な引用ありがとうございます。岸田秀、愛読いたします。
自閉的組織は、GONPOを使って市民を硬直化させ、その市民を周囲の防御壁とし、ますますその自閉性を高めつつあるようです。
この自閉性を破る手立てを考えてゆくべきではありませんか。民間企業は破たんの少し手前で自ら改革します。しかし、破たんしないと思っていた地方行政の破たんもまじかです。その時に備えて戦略を準備しなければなりません。
その戦略の一つが市民であると思っていたのですが、、、、、。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
こんなHPがありました
ものぐさ唯幻論 - 岸田秀 公式サイト
http://kishidashu.com/
を開き、下にスクロールすると次のタイトルがありました
『国家論』 公開しました
論文No Comments »
『国家論』とは
『国家論』は思想家である岸田秀の原点であるともいえる論文であり、「現代思想」1975年6月号に掲載され、1977年に処女作『ものぐさ精神分析』青土社版に所載されました(現在は中公文庫版『ものぐさ精神分析』1982年に所載)。
「人間は本能が壊れた動物である」という主張は、その当時から現在まで、思想・精神分析会において多大の影響を与え続けています。
『唯幻論』の入門書として、またフロイド・ラカンを理解するための一つのテキストとして読んでいただきたいと考えます。
『ものぐさ精神分析』あとがきには、次のように書かれています。
いろいろと雑文を並べてあるが、忙しくて時間がないか、めんどうくさいかで全部読む気になれない人は、「日本近代を精神分析する」、「国家論」、「性的唯幻論」、「セルフ・イメージの構造」、「時間と空間の起源」、だけ読めばいいのではないかと思う。それでもまだ多過ぎるという人にも、「国家論」だけは読んでもらいたい。」
『国家論』は、岸田秀先生、中央公論新社の了解を得てホームページに掲載しています。
『国家論』本文へ
この本文が掲載されているアドレスが下です
http://kishidashu.com/docs/kokkaron/
未読です
コメントを投稿