市民の柔らかな声を行政に生かすために市民ワークショップが開かれることが多くなった。建築家の取り組む多くのプロジェクトにおいても巨視的な視点や抽象的なイメージを払拭するために行われ、大きな効果をあげている。 しかし、同時に建築家もすべてのものを取り込む覚悟とそれらから新たな価値をつくりだす能力とが要求される。
どこにおいてもこのように市民参加が一般的な手法となると、新しい姿勢を目指す行政だけでなく、古いままの体制でよいと考えている行政までもが、市民ワークショップに取り組まざるをえないことになる。ここに大きな悲劇が生じてくるのであり、市民はもちろんのこと、それに携わる古い体質の職員までもが身近にそうした矛盾に向わざるを得なくなってしまうのである。
「まちづくりは鍋物のように」と言って、多くの市民やその声を集めるのだが、結果的にはひとつの好きな具だけを食べ続けるという、市民やその声を選別することが簡単に行われてしまう。当事者の職員からも「議論が先鋭化しても困りますから、、、」、「職員がどれだけ消化できるか、、、」などと、新たな行政に取り組もうとする姿勢など、全くないことも多い。
目の前の現実のプランを改革することも必要であるが、しかし、それを実践するために根本的に組織をも改革しなければならない、という困難な局面に市民は立たされている。
市民の声がしかるべき場所に、あるべき姿で、届いていないのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿