2007年7月2日

子どもの視点

昨日、わんぱく寺子屋で活躍する内田真紀子氏と共に、歴史家市橋章男氏の先導で、岡崎城のかつての外堀跡の周りを回り、子どもたちとマップづくりを行いました。
岡崎城のかつての城郭や外堀を薄く描いた地図を持って、面白いもの、古そうなものを順に見つけて書きとめてゆき、その場所に番号の書いたシールを貼ってゆく、こうして、かつての外堀跡を辿ってゆきました。

子どもたちの見る目は面白い、なおかつ、 順応性は高いです。
「先生の言っている場所だけ書いててもダメなんだよう、自分で見つけてこないといけないんだよう」は6才のたけゆき君のことばです。自覚はできているようです。最初からやたらシールを貼りまくっていたこのたけゆき君をマークしながら、子どもがどのように反応するかを確かめるように僕も負けじと面白い場所を見つけて回りました。

彼らにとっては町はもっと大きく見えるのかもしれません。と同時にいろんな目を失っていないのです。成長するにしたがって(本当に成長しているのかどうかわかりませんが)、目が堅くなる、町はこういうものだと決めてかかる。
子どもたちはちょっとした道路の盛り上がりのヘリに、ソファのように休んでいる。これは既成の概念、枠組み、にとらわれず、対象が語りかけるように、新しく意味を見つけるようにして、行動を行っているのです。新たな生態学的心理学ではアフォーダンスと言われる、今多くの人たちが注目する概念です。

日常では、まちはこういうものだと決め付けてしまっています。まちだけではなくすべてに対しても同じですが、、。ある決まった枠組みで決め付けています。道、壁、窓、屋根、塀、、、、。しかし、人間の本能や感性では対象をそのように決め付けるのではなく、もっと多義的に、もっと自己中心的に、自分の中で反応しようとします。人は決められたように対象を見て行動するのではなく、もっと順応的に自分の意思に即して対応します。この順応性、子どもから学ぶことは多いと思うのです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

人の暮らしの積み重ねが歴史であると考えています。妙なシンボリズムが歴史そのものであるような錯覚を持たないようにすることが大切だと思っています。
私たちの暮らしの中に息づいている貴重な積み重ねの資産を、場当たり的な政策や無教育で失っていくことにつながってしまうのではないかと危惧しているからです。

わんぱく寺子屋の実践を通して、残されているものの良さ、次代に伝えて行きたいという意識がさらに広がることを期待しています。

匿名 さんのコメント...

岡崎のまちがずっとここにあること。そこに生きる人々の暮らしの営みが断ち切られることなく今につながっていること。それは、岡崎のまちを大切に思う人たちがどの時代にもいたからだろうと思います。岡崎のまちをふる里として育つわんぱく寺子屋の子どもたちに、まちの人が長い年月を経て大切にしてきたものやその想いをつなげていきたいと思っています。それが、子どもたちの根っこになっていくのだと信じています。

子どもたちの素直な発見や感動に学ぶことは沢山ありますが、今回の活動を通して、子どもたちのセンス・オブ・ワンダーを大切にできるまちづくりが必要だと感じています。大人の理想に当てはめるのではなく、子どもたちがわくわくできるまち。今、岡崎のまちづくりに欠けているのはそういう点かもしれません。

今回の子どもたちの発見をどう発展させるか、これからが益々楽しみです。今後もどうぞよろしくお願い致します。