2007年7月17日

真夜中の図書館

今日、図書館に行った。それは真夜中の図書館、「ま・よ・と」。

それは、普通に住まうための、生きるための、自己実現のための施設を描いたものです。そのことが辻氏の「ま・よ・と」には現されています。

つまり、「ま・よ・と」とは図書館のオープン化、さまざまな境界をなくすことではないでしょうか。日本がまだ貧しかった時代につまらない図書館のイメージができてしまいました。それこそが今でも図書館だと思っている、そういう人も多いことを実感します。しかし、図書館とはそれとは根本的に違うと思う。こうした閉鎖的な図書館像を打ち破らなければならない。のです。

辻氏の書いているICチップによる本の簡単な手続き方法は、入り口の概念をなくし、開かれた図書館を作り出すものとなります。図書館の内部と外部の厚い壁がなくなり、町に広がってゆくはずです。
このICチップの入り口は岡崎の図書館が本を盗まないように窓が閉じられていたり、本を持ち出せないような読書の小径が計画されていたりすることに腹立たしくて、僕が図書館メーカーの人と共同で開発して科研費の助成を受けようとしたものです。(残念ながら採択されませんでしたが、、)このICチップも図書館のつまらない境界を吹き飛ばしてしまうものになります。
同じようなことを考えているんだなぁ。

僕が設計に携わった明治学院大学、大学の設計も同じです。大学とはこういうものだという、学生にはこんなものでいいといった、古い考えがあって、それを解体するのが大変でした。しかし、それを解体したのは、町にあふれる普通のカフェやジム、ギャラリーやブティックのあり方だった。そんなところで今、学生たちは過ごしています。大学だけがいごこちが悪くてどうするのだ。

また、一方で学生たちの巣窟であった部室も解体し、ショーウィンドウのように開かれた共有のサークルルームに変えました。自己閉鎖するのではなくて、自己表現するべきと学生たちに訴えて実現しました。
大学にも境界がなくなってきているのです。

真夜中の図書館とは境界のない、どこまでも続く、まちなか図書館。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

島崎さま

「マ・ヨ・ト」をしっかり読み込んでいただき嬉しく思います。つまらない図書館からは早く脱皮したいものです。図書館の作り方にも、問題が山済みですから、ここも改革したい部分です。行政には、もう任せられない気持ちです。誤解を恐れずに書けば、市民が図書館を政策提言するために、市民、建築家、図書館がタッグを組んで、企業を巻き込んだ形で図書館PFIを『市長』に売り込むという大逆転を考えています。
夏休みに前原市においでになりますか?
そのときは是非お会いしたいです。

島崎義治 さんのコメント...

tsujiさん
コメントありがとうございます。

ぜひ、お伺いいたします。コメント投稿にてまどる間に、先日の熱いメールに返信させていただきました。
それから、ブログをリンクさせていただきたいです。よろしくお願いいたします。


次は直接お目にかかれることを楽しみにしています。