2007年7月3日

歴史的視点

以前、僕は岡崎では「岡崎城は歴史ではない」と会う人ごとに言っていて、郷土を愛する歴史家である市橋氏には顰蹙を買うのではないかと案じていた時期がありました。しかし、市橋氏も歴史家でありながら、岡崎のシンボルである岡崎城を重要視していないことがわかり、それどころかまちに埋もれるさまざまな歴史の発掘に邁進されており、その後いろいろと協働することになりました。

今年の後半は岡崎の古いまち並み、路地の細やかなネットワークによってコミュニティが作られた、六供町というまちの調査を協働で行うことになっています。六供町は南イタリアのロコロトンドやマルティナフランカのような感動を覚える鳥肌の立つような、まち、コミュニティです。

かつての岡崎はその城内を東海道が抜けてゆき、とても斬新なまちでした。城の周囲はかつての外堀として、かすかな痕跡が残っていますが、子どもたちは多くの痕跡を見つけてきます。それらは江戸時代を通じ、明治や大正、昭和と堆積されてきたものです。

こうした、痕跡こそが歴史であり、時間の重なりこそが、目に見えるその重なりこそが、市民とって、とても重要な、次への指針となるのだと考えています。そうした、重なりを残すことが重要です。だから歴史を大切に、人の生活を大切にし、その上に今の生活空間を重ねてゆくべきなのです。

ここにこそ、歴史家や建築家、それだけでなく、多くの市民が協働できる「まち」という舞台ができるのです。

0 件のコメント: