2007年7月16日

市民による運営/岡崎市婦人会館

岡崎市婦人会館では市民活動団体が自主運営グループを形成し、自らその運営を行ってきたそうです。

その由来は以下のようなものと聞いています。
1971年に婦人会館が開館し、定期講座が開講されてきましたが、運営経費を抑えるために定期講座の終了後に会館の運用をしていくために、行政から薦められ、運営のための自主グループが出来上がっていったようです。
行政側からは優先的に継続的に場所の提供を約束し、自主運営グループでは営利目的にならないように、あくまで受講生で組織し、講師をお願いする。
また、借りている場所はきれいに使わせていただきましょうと清掃奉仕活動が始まったとのことです。

そして、その運営内容は次第に確立されたようです。
昭和57年5月11日に施行された会則の2条にこの会は、グループの相互連絡提携と親睦を図り、岡崎市働く婦人会館の設置目的を理解し、グループ活動の円滑な推進に努めることを目的とする。とされ、

また、第6条ではこの会は、第2条の目的を達成するため次の事業を行なう。 と書かれており、以下のような事業が実際に市民の手により行われてきました。
1)リクレーションと親睦(館外研修や講習会)
2)学習発表(毎年3月に行なわれる“やよい展”)
3)グループ間の連絡提携と機関紙の発行(『ふれあい新聞』)
4)その他(相互グループのふれあいの中から生まれたボランティアグループ“ふれあい” での老人ホームの花壇のお手入れ、一人暮らしの老人へ毛糸のひざ掛けのプレゼント)、(やよい展即売会の収益金の一部を寄付したり、会館の草取り奉仕作業)

こうした市民自ら運営している事業は官と民との協働事業です。また、一般の貸し館業務のなかでは成しえない、本来の市民の支援活動ではないかと感じます。30年以上も前から行われていたとは、驚きです。むしろ、昔のほうが館と民との良好な関係が築かれていたのかもしれません。

しかし、その活動が休止に追い込まれました。中央に新館を作ることで、周辺の既存の施設が廃館となり、同時に活動も終焉を迎えることになってしまいます。

いったん、その基盤を失い、休止に追い込まれた時、再生させるのは最初の立ち上げ時より困難が伴うものです。

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