古い記憶が手繰り寄せられなくて、最近は外部脳に頼ることが増えてきました。グーグルという外部脳です。生命的には、身体的にはやばい状況かもしれませんが、、。
人間の体を乗り物として世代を越えてゆく生命の遺伝子と、脳を乗り物としてこれまた世代を超えてゆく文化の遺伝子とが、脳が肥大してゆくことによって、いつからかこの二つは相反しだした。ここに、地球の生命を脅かすものではなくて、人間の生命を脅かすものとしての環境の問題があると、佐倉統氏は「現代思想としての環境問題」で論じている。
この佐倉氏の「文化の遺伝子」を一度整理しておきたかったのです。
そして、今人間の脳がコンピューターという巨大な外部脳を手に入れることによって、さらに肥大化した情報化の時代となっています。ある意味で脳が身軽になって、再び生命と文化がくっつくのか、身体から全く離れていって、生命と文化が相容れないものになってしまうのか、、、。大事な岐路に立っています。
環境問題には自然と人間と文化をつなぐ想像力、深い洞察力が必要となります。
環境とは自然と人間と文化の関係性が織り成す網の目、つまり、環境とは人と人との関係や自然や文化との関係がつくる場面や場所のことであり、身近なものと僕は考えています。
文化と生命とが離れてゆくことで、どちらも危機に瀕する難しい状況に陥ってゆくのではないかと案じます。身体と密接につながった、実感できる文化という認識が必要なのではないでしょうか。
しかし、まちでは「文化」は安易に語られます。最初が「経済」で、ちょっと遅いですが、今が「文化」、その次はたぶん、「環境」、、、。
文化を基盤にしたまちづくりと言われています。でも、それは、これまでのような大型ショップの集客を頼りにまちを活性化しようとするものではなくて、これからは大型公共文化施設で集客しようとするくらいの意味で使われているのです。、、、、、、残念ながら。 大型ショップによるまちづくりは失敗しました。それは大型ショップの開発にはなるがまちづくりなどにはつながらないからです。大きな新しい図書館も同じではないでしょうか。
ただ、魂をゆさぶるような図書館ができれば、まちは変わります。それが本物の文化であり、それが生命と文化をつなぐのでしょう。
魂をゆさぶる図書館長に来て欲しいなぁ。
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