かつて、僕が学生だったころ、多くの友人が都市計画をやりたくて、’60年から’70年にかけて構想された壮大な都市物語に魅せられて、建築学科に入ってきました。しかし、その多くは途中でその夢を捨ててしまいました。都市計画を行うための働く場所がなかったのです。都市計画が不毛の時代だったのかもしれません。
また、この都市計画不毛の時代に多くの負の制度や意識が確立されてきたように感じます。それもまた、夢がなくなった理由かもしれません。
今の時代であれば、都市計画がまちづくりという視点に変わり、多くのチャンスが広がってきたようにも感じられます。壮大な大きな視点ではなく、市民一人ひとりの感じる視点を共有するまちづくり人として、だれでもまちを論じることができるようになったのですね。かつて、夢を抱いていた人たちが今一度まちに戻ってきてくれたらいいと思う。そうしたチャンスは確実に広がっているのではないでしょうか。
しかし、不毛の時代は続いているのかもしれません。
職業人としてのまちづくりは、NPOのような組織に活路を見出しますが、ボランティア状態か、行政の出先機関のようでないと一定の収入が得られない、多くの固定化した制度や意識がまちづくりを阻む、自分たちの利権を守るためにまちづくり団体を標榜する、など、さまざまな障碍が横たわっています。
職能としての都市計画はこれまでの障碍となっている制度や意識をいったん解体し、再構築できる職能意識を持ったプロのまちづくり人、都市計画人が必要となるでしょう。
都市の理論で都市を語っていた、あるいは生命の壮大なストーリーを都市に当てはめていた時代の言葉ではなく、市民の視点による都市物語、ストーリーづくりが必要であり、市民の一つ一つのストーリーを束ねること、束ねて大きなストーリーにする能力が不可欠です。夢を語り、夢を実現するまちづくりへ向かう、もう一度、夢を抱く時代が要請されています。
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